2011年05月15日

雲に乗りたい・・

雲に乗りたい あの空を飛びたい
どこまでも続く あの空の向こうまで

夢はまだ半ば ここまで来たけど
あの雲追いかけて ここまで来たけど

辛い日もあるけれど 夢があれば 大丈夫
見上げればそこにある 僕の空が続いてる

雲に乗りたい あの空を飛びたい
あの雲をつかむまで 僕の夢つかむまで



子供のころ、本当に雲に乗りたいと思っていました。。
雲に乗って、遠くに行きたいと・・・
初めて、飛行機に乗って雲を見下ろした時・・・
乗れると思ったなー。。  

Posted by にかちゃん at 00:54Comments(0)TrackBack(0)詩をかく

2010年10月20日

凪 その11・・・・短編小説




台風が去った後の入江を弟の源と2人で歩いた。
風で折れた木の枝や何処からか流れてきた板切れ、見たこともない外国の空きビンなどが浜に打ち上げられていた。

私達は、くり舟競走がおこなわれるはずだった入江の真ん中あたりまで、歩いた。
板張りの小さな桟橋に腰を下ろし、
『くり舟競走やりたかったな』私がつぶやくと、
『絶対負けなかったはずだいね』
弟は、小石を海面に投げ込んだ。
ボチャンという音と共に海水が跳ね上がった。
広がる海面の模様をぼーっと眺めながら、
『そうだいね。絶対勝てたいね。』
私は、もう一度つぶやいていた。

入江の対岸には海抜200mほどの御山と呼ばれていた山がそびえていた。
桟橋から150mほどの向こう岸には、小さな御山神社があり鳥居が見える。
くり舟競走は、その鳥居の前に打ち込んである杭を折り返す往復約300mの競走だ
った。

『台風のバカヤロ~』
突然、弟の源が叫んだ。その声が御山に木霊して、返ってきた。
『台風のバカヤロ~』
『区長のバカヤロ~』
『御山の神様の、なんで台風なんか、寄こしたいね~』
私も続けて叫んだ。
私はくり舟競走を中止にした、区長が許せなかった。
海の守り神として奉ってある御山神社の神様にも腹が立っていた。
私達は、陽が御山の向こうに落ち、辺りが暗くなるまで、御山に向かって小石を投げながら、叫び続けていた。

  

Posted by にかちゃん at 01:51Comments(3)TrackBack(0)短編小説

2010年10月12日

今日は松尾芭蕉の没日です。

今日は松尾芭蕉の没日です。
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2010年10月07日

風が教えてくれたもの

あの時の風は僕何を教えてくれたのだろう



(渡嘉敷島のお庭には、秋の気配がしっかりと・・・)


風が姿を見せるとき

僕は涼しさを感じる

庭の木々が揺れるとき

僕は風の姿を感じる

あの時の風は僕に何を教えてくれたのだろう

ゆっくり歩いていけと言っていたのか

負けずに立ち向かっていけと言っていたのか

あいまいな記憶をたどりながら

ぼくは今風を感じている




今日、カフェ悠遊に行ってきました。http://kominkayuyu.ti-da.net/
仕事のお客さんのすぐ近所だったので、
寄り道しました。
中に入ると、
ゆったりした風が吹いていました。
少し、ぼーっとしながら・・・
詩を書きました。

人は皆、風に思い出をもっています。。
少年の日に見た風。
学生時代に感じていた風。
仕事に追われながら、吹かれている風。

貴方には、どんな風の思い出がありますか。
  
タグ :風の思い出

Posted by にかちゃん at 00:22Comments(6)TrackBack(0)素敵な言の葉

2010年09月14日

凪 その10・・・・短編小説



急いで出ると父からだった。
「徹か?この調子だと、くり舟競争の日に台風が来そうだな。この台風はかなりでかいぞ。」
「超大型で、今小笠原諸島におるが、まっすぐに巻島に向かっている。」
「本州を横切って直撃の予報だ。台風の速度もゆっくりしてて、こりゃあえらいことになりそげだ。」
早口に台風情報を告げると、戸締まりを確認することを母に伝えるようにと言い、父は電話を切った。

私は、くり舟競争は、まだ2週間も先だから台風のために舟漕ぎ競争が影響を受けるとは本気で考えていなかった。
しかし、私の予想をよそに、台風は停滞を繰り返しながら、ゆっくりと沖の巻島に近づいていた。
そして、1983年9月10日土曜日、旧暦8月4日海神祭の当日、台風の目が沖の巻島をのみこんでいた。
台風は丸二日にわたり、沖の巻島に猛威を振るい、大きな被害をもたらした。
半農半漁の島である沖の巻島は過去に例を見ないほどの被害を受け、もう祭りどころの話しではなくなっていた。
その年の海神祭は中止となり、沖の巻島は暗く長い不況の時代へと入っていった。

9月10日はグレゴリオ暦で年始から253日目にあたる。
この時期が立春から数えて220日目にあたる二百二十日で台風による水害が発生しやすい時期であるということを、後から知った。

・・・つづく
  

Posted by にかちゃん at 20:46Comments(0)TrackBack(0)短編小説

2010年09月02日

長月

いよいよ9月です。




今日の帰り道。ふと見上げると秋の空になっていました。。

陰暦では晩秋にあたる9月は、異称長月。「夜が長くなる月」の意とするのが、古来の説のようである。

新暦と旧暦とは、約一月ほど差がありますが・・・

9月と聞くと、やはり秋ですね。

今月は下の娘二人の運動会が控えています。

今からお弁当のメニューを考えている夜長です。

にかちゃんの好きな言の葉(ことのは)『あ・い・う・え・お』
【長月(ながつき)】
語源は諸説あり、新暦の十月上旬から十一月の上旬にあたり、夜がだんだん長くなる「夜長月(よながつき)」の略とする説。
日本では、旧暦9月を長月(ながつき)と呼び、現在では新暦9月の別名としても用いる。長月の由来は、「夜長月(よながつき)」の略であるとする説が最も有力である。他に、「稲刈月(いねかりづき)」が「ねかづき」となり「ながつき」となったという説、「稲熟月(いねあがりづき)」が略されたものという説がある。また、「寝覚月(ねざめつき)」の別名もある。

万葉集にこんな歌を見つけました。

誰(た)そ彼と我をな問ひそ長月の露に濡れつつ君待つ我を

(通釈:あれは誰かと、私のことを問わないで下さい。長月の夜の露に濡れながら、いとしい人を待っている私のことを。)

長月のしぐれの雨の山霧のいぶせき我が胸誰(たれ)を見ばやまむ

(通釈:長月の時雨の雨が山霧となって立ち込める――そんな風に鬱いでいる私の胸は、誰を見れば晴れるのだろう。)
  

Posted by にかちゃん at 02:02Comments(0)TrackBack(0)素敵な言の葉

2010年08月19日

凪 その9・・・短編小説

舟漕ぎ競走の日を2週間後に控えたその日は、

小笠原諸島の南で台風8号が発生していた。  続きを読む

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2010年08月11日

帰り道・・・

子供の頃の帰り道は

なぜか淋しくて・・

でもどこか嬉しくて・・

ドキドキしながらの帰り道だった


我を忘れて遊び呆けて・・

気がつくと、辺りは暗く

急に心細くなった

弟の手を引きながらの帰り道だった


見上げた空には

満天の星が輝き

星座の名前を知っているだけ

叫びながら小走りに帰った



にかちゃんの好きな言の葉(ことのは)『あ・い・う・え・お』


【夕焼小焼(ゆうやけこやけ)】夕焼小焼(ゆうやけこやけ、夕焼け小焼け)は、1919年(大正8年)に発表された中村雨紅の詞に、草川信が1923年(大正12年)に曲をつけた童謡である。1923年に『文化楽譜 あたらしい童謡・その一』に発表され、童謡としては最もポピュラーなものの一つである。
・・・ウィキペディアよりhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E7%84%BC%E5%B0%8F%E7%84%BC
子供の頃誰もがこの唄を口ずさみながら、家に帰えりましたね。うちの近所にはお寺はなかったけれど、公民館の放送からこの歌が流れていた気がします。誰にでもある子供の頃の思い出。忘れないでいたいですね。

  

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2010年08月04日

凪 その8・・・・短編小説  

船曳集落のある入江の奥には、船曳川が流れ込んでいた。

船曳川は穏やかな流れで、入江から少し遡ると、

湖のように開けた〝田沼″と呼ばれていた沼地があり、

水深は一番深いところでも90センチほどしかなかった。

私たちは学校から帰ってきた後、田沼で練習を繰り返した。

美子ちゃんが舟尾で舵を取り、そのすぐ前に私、信一、洋介、源の順で舟に乗り込んだ。

私は皆が櫂を漕ぐ呼吸を合わせるため、「エイ、エイ」と号令をかける。

毎日々、空が茜色に染まるまで練習を続けた。

源、信一、洋介の三人は手に豆が出来ると、痛いと言って泣いた。

その度に美子ちゃんは、家から持参していた救急箱から

絆創膏や赤チンキを取り出し手当てをしていた。

不思議なことに美子ちゃんが手当てをすると、

それまで大泣きだったはずの源達は、すぐに泣きやんで練習に戻っていた。

私も美子ちゃんに手当てをしてもらいたかったが、

美子ちゃんの手に触るのが照れくさくて、一度も手当てを受けたことがなかった。


つづく・・・

次回、海神祭くり舟競争に台風の影が・・・  

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2010年07月31日

凪 その7・・・・短編小説 

私の故郷・沖の巻島でも、くり舟競争が海神祭で行われていた。海神祭は毎年旧暦の8月4日に行われる。
くり舟競争は、小学生から中学2年生までが出場する競走で、島の東部の入江にある舟曳集落の伝統行事であった。
舟曳集落は、1班から9班まで隣組組織があり、くり舟競争も班対抗で行われた。
私の家は9班で入江の一番奥にあった。
私が小学6年の年、過疎化の影響で、9班の戸数はかなり減っていた。
9班には15軒の家が残っていたが、その内子供のいる家は、5軒しかなかった。
島が炭鉱で繁栄していたころは、9班にも60戸ほどの家があり、子供の数も多かったらしい。
くり舟競争は、5人1組となり1人が舵を取り、4人が櫂を漕ぐ。
小学生低学年、高学年、中学生の部にそれぞれ分かれて競う。他の班は、家の戸数もまだ多く、くり舟競争には、班の中でも体力自慢の子供たちが出場していた。
9班は、私が6年、弟の源が4年、隣の信一と道向いの洋介が3年、そして洋介の家の裏に住む美子ちゃんが5年生。この5人しかいなかった。
私たち5人は、いつも一緒に行動し、学校の登下校も休みの日に遊ぶのも一緒だった。
この年私たちは、正月明け早々に、密かに練習を始めていた。

つづく・・・
次回、秘密の特訓が・・・そして・・・  

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2010年07月28日

凪 その6・・・・短編小説

文島の帆かけ手漕ぎ舟競争は、一年のうちでもっとも風が吹かない、この時期に開催される。
むしろ手漕ぎ舟競争だと言われるほど、帆が役に立たない。

国営のテレビ局が一度このレースのドキュメント番組を放送した。その珍しさから、全国的に知られるようになり、今ではレース参加者の半数以上が県外からの参加となっている。
帆かけ手漕ぎ舟競争の珍しさは、その帆である。
参加者らの舟に張られた帆は、穴が開き所々が焼け焦がされ、帆としての役割を果たせない状態となっている。

その昔、文島は海賊倭寇の拠点だった。文島を出港した倭寇は朝鮮の海域を荒らし、恐れられた。
ある時、1隻の倭寇船が朝鮮の警備船から追われ逃げる途中、追いつかれ火矢を射られ、帆を焼かれてしまった。
生き残った乗組員6人は、櫂を漕ぎ、迫りくる警備船を振り切り、命からがら文島にたどり着くことが出来た。
朝鮮警備船の追撃を受けながらの逃走距離が13里だったという。
倭寇の首長は、この6人を英雄として登用した。

それ以降6人を讃え航海の無事を祈願する祭りとして、帆かけ手漕ぎ舟競争が始まったという。
第2次世界大戦以後、島の人口が激減しこの祭りも途絶えていた。
8年前、島の有志が島起こしとして、帆かけ手漕ぎ舟競争を復活させた。
私に声をかけて来た清助さんは、その時の生き残った英雄の末裔にあたり、過去の大会で3度の優勝を遂げている。

13里とは約50キロで、帆かけ手漕ぎ舟競争も文島の沖50キロの地点から、文島港を目指す。参加者らは手漕ぎだけでゴールを目指すのだが、レース途中10キロ辺りから海流の壁を越えなければならない難関が、5キロも続く。
この海流は文島の遥か北の海から流れてくる寒流で、この海流を文島の漁師達は”竜の門番”と呼んでいた。この流れを乗り越えて初めて一人前の漁師とみなされる、文島漁師の登竜門なのである。
帆かけ手漕ぎ舟競争の参加者にとっては向かい風ならぬ、向かい流であり、毎年此処で脱落者が出る。

私は、掌にできた水泡が、破けたのも気にならないほど、櫂を漕ぐ手に力が入っていた。
私のすぐ右側を走る赤嶋さんはすでに遥か前方を行き、実力の差を見せつけていた。
『最勝寺さん、そんなに飛ばし過ぎると、途中でバテてしまうて、ペース配分考えていかんとね』
と、私のすぐ左側後方から、声をかけてきたのは、文島で民宿を営む東風暮治さんだった。
治さんもまた、倭寇の末裔である。
私は文島での宿は、治さんのところと決めている。治さんは宿の食事に出す魚を自分で獲り、民宿の裏手にある畑で取れた野菜を料理に使う。
野菜は有機農法に徹しており、大根も葉野菜も甘くて美味しい。
料理の腕も確かである。
高校を卒業した治さんは、32才で文島に戻るまで京都の老舗の料亭で修業した。
治さんの料理は、日本海の荒々しさと都の上品さが混ざり合った独特の味わいがあり、治さんの魚料理を食べることだけを目的に文島を訪れる客も少なくない。
『何をそんな、ムキになっとるん。清助には、所詮かなわんが、俺らには俺らのペースがあるけいね。』
と、治さんがまた、声をかけてくる。
私は、
『別にムキになんかなってませんよ』
と、少しムッとしながら治さんに返した。そして、
『なぜ、俺はこんなにムキになっているのだろう。』
と自分に向かって呟きながら、故郷の沖の巻島の事を思い出していた。



つづく・・・
次回、なぜ、私はそれほどまでに競争にムキになるのか・・・・。
少年時代の思い出が・・・今語られる。

続きは、不定期に更新予定です。
続きを読みたい方は、こちらに⇒http://hanaakari.ti-da.net/
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Posted by にかちゃん at 23:12Comments(0)TrackBack(0)短編小説

2010年07月28日

凪 その5・・・・短編小説

突然、
『最勝寺さん。もうすぐスタートですよ』
と舟のすぐそばから声をかけられた。
びっくりして、飛び起きると周りには、たくさんのくり舟が帆をかけて、横一列に並んでいる。
その後ろに文島フェリーや見覚えのある漁船の姿があった。
一隻の漁船の船体に
【帆かけ手漕ぎ舟競争大会・in FUMISHIMA】
と横断幕がかけられている。
私に声をかけてきたのは、文島の漁師・赤嶋清助さんだった。
清助さんは、文島でタコヅボ漁をしている若手の漁師だ。
『最勝寺さん。もうすぐスタートですよ。準備は良いですかいの。』
ともう一度声をかけてきた。
『えっ、スタートって、僕もこのレースに出るんですか。』
と清助さんに聞き返した。
『はぁ、そんつもりで此処に来たんですよね。』『皆で、最勝寺さん勇気あるなーって、話しとったですよ。』
『まっ、参加することに意義がありますけ、頑張ってくださいの。』
と、続けざまに返事が返ってきた。

さっき流されたはずの櫂も私の手に握られている。頭の中で、この数日の出来事が映画のフィルムのようにグルグルとが回りながら、セピア色に変わっていく感覚を感じていた。

文島フェリーのデッキの上に設けられた特設の式台の上から、文島村長が激励の挨拶を終えて、降りるのが見えた。
それに続いて、上下真っ白なジャージ姿の大会長らしき小太りの男性が式台に上がり、何か大声で言ったかと思った瞬間、手に持っていたスターター銃を高々と突き上げ
「パーン」
と乾いた号砲を響かせた。
横一列に並んでいたレースの参加者たちが、雄たけびを上げながら、一斉に櫂やオールを漕ぎ出し、帆掛け手漕ぎ舟競争がスタートした。
私も、手に持っていた櫂を水面に突き入れた。

文島の帆かけ手漕ぎ舟競争は、一年のうちでもっとも風が吹かない、この時期に開催される。
むしろ手漕ぎ舟競争だと言われるほど、帆が役に立たない。

国営のテレビ局が一度このレースのドキュメント番組を放送した。その珍しさから、全国的に知られるようになり、今ではレース参加者の半数以上が県外からの参加となっている。
帆かけ手漕ぎ舟競争の珍しさは、その帆である。
参加者らの舟に張られた帆は、穴が開き所々が焼け焦がされ、帆としての役割を果たせない状態となっている。

・・・つづく

次回、帆かけ手漕ぎ舟競争の由来と倭寇の歴史が・・・  

Posted by にかちゃん at 01:47Comments(0)TrackBack(0)短編小説

2010年07月27日

十六夜の月・・

にかちゃんの好きな言の葉(ことのは)『あ・い・う・え・お』

なんとも心にしみる言葉の響きですねラブ
十五夜の満月の次の日。月の出は少し遅く眠っzzz
その情景が月が躊躇っているかのように見えたのだとの事ピカピカ
実に先人達は、自然を見る目が風流だったのですね。。ラブ
奥ゆかしい女性の姿と重ねていたのでしょうか。

今夜の月はそんなことを想わせる月のあかりですね。。。キラキラ 


【十六夜(いざよい)】十六夜とは、陰暦16日。また、その夜。陰暦8月16日の夜。また、その夜の月。じゅうろくや。いざよいは、「ためらう」「躊躇する」意味の動詞「いざよう」の連用形が名詞化した語。
陰暦16日の月の出は、15日の満月の月に比べてやや遅いところから、月がためらっていると見立てたものである。「いざよう」は上代には「いさよう」と清音で、「十六夜」も上代には「いさよい」と清音であった。
・・・語源由来辞書よりhttp://gogen-allguide.com/  

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2010年07月22日

凪 その4・・・・・・短編小説

夜行性の蛾の捕食者は蝙蝠で、超音波で狩りをする。
しかし、蛾もまた、蝙蝠から発せられる音波を逆探知して、蝙蝠が攻撃する瞬間、ひらりと身をかわしうまく逃げおおせる者もいるという。
蛾が好きなわけではなかったが、手っ取り早く研究できるほど、たくさんの種類の蛾が、毎晩のように我が家の電球に集まっていた。
それらを掴まえ、発泡スチロールの板に爪楊枝で挿し、即席の標本を作っていた。
ごみの収集日、隣家のおじさんが、不要になったといって玄関先のごみ置き場に出していた昆虫図鑑を貰い受け、私の愛読書にしていた。
その昆虫図鑑で蛾の名前と生息地を調べ、発泡スチロール板の即席標本に並んだ蛾の下に名前を書いた紙切れを貼り付けていた。
私の祖母は、虫の類が大嫌いで、私が学校に行っている間に、収集した蛾の標本を捨てたことがあった。
それ以降、私は弟と相談して、納屋の奥の木箱の中に隠すようになっていた。
あいにく、その標本は蟻の餌となることが多かったが、それでも、そのうちのいくつかは、標本のまま残っていたりした。

夜半過ぎホツホツと雨に頬を打たれ目を覚ました。顕微鏡を父に買ってもらったのが、夢だったことに気付いたのと同時に、雨が強く降りだした。寝ぼけている弟の手を取り、母屋へ急いだ。
縁側から中に入り畳の上に寝転がって雨の音を聴きながら、顕微鏡の感触を思い出そうと、目を閉じた。
沖の巻島には、島のあちこちに鍾乳洞があり、オキノマキオオコウモリが巣食っていた。我が家の裏山にも鍾乳洞があり、嫌がる弟を連れてよく入った。
鍾乳洞の中で、目が慣れてくると、蝙蝠が群がってぶら下がっているのが、見えてくる。
小石を拾い上げて、蝙蝠に投げつけると、蝙蝠はパニック状態になってバタバタと飛び交った。蝙蝠を後に、外へ飛び出すと、弟は泣きべそをかきながら必死になって、私についてきた。
ある日の夜、テレビの洋画劇場でドラキュラという映画が放映され、その中で吸血蝙蝠が人を襲うシーンを見て以降、私達兄弟は鍾乳洞へ行かなくなった。

蝙蝠のバタバタという羽音が、耳のすぐそばでした。目を開けると、それは蝙蝠ではなくハゲガラスが舟の縁にとまり、私の顔を覗き込んでいた。一瞬にして目が覚めた私は、『うわーっ』と叫んだ。
ハゲガラスは、一瞬驚いたようにバタバタと飛び立ち、また私の頭上を旋回し始めた。
『畜生、あいつらはまだ追ってきていたのか。』『俺はまだ死なないぞ。向こうへ行け。シッ、シッ。』私は舟の縁を手で叩きながら、怒鳴るように言った。
舟に横たわりハゲガラスを睨みつける。
奴らに死んだと思われないように、私は首に巻いていた白い手ぬぐいを手に取り、時々くるくると回したりしていた。

突然、
『最勝寺さん。もうすぐスタートですよ』
と舟のすぐそばから声をかけられた。
びっくりして、飛び起きると周りには、たくさんのくり舟が帆をかけて、横一列に並んでいる。
その後ろに文島フェリーや見覚えのある漁船の姿があった。
一隻の漁船の船体に
【帆かけ手漕ぎ舟競争大会・in FUMISHIMA】
と横断幕がかけられている。
私に声をかけてきたのは、文島の漁師・赤嶋清助さんだった。


つづく・・・・

次回、意外な展開に・・・・。文島で繰り広げられる舟競争・・。
なぜ、私はそれほどまでに競争にムキになるのか・・・・。  

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2010年07月22日

凪 その3・・・・・・短編小説

既に陽は西に傾き、空は茜色に染まっている。

すぐ後ろにあったはずの砂浜は、いつの間にか、見えなくなっている。

頭上を見上げると、ハゲガラスの姿はなく、星が輝いていた。

『あ~っ!なんて綺麗なんだ!こんな星空を見るのは、もう何年ぶりだろうか。』

と、思わず呟いた。

私は子どもの頃に、生まれ故郷の沖ノ巻島で見上げていた、星空を思い出していた。


弟と2人、家の裏庭の草の上に茣蓙を敷いて寝転がって夜空を見上げていた。

星座といえば、さそり座と北斗七星しか知らなかったが、

2人とも、勝手に星座の名を作り上げては得意げに

『知ってるか、北斗七星の左斜め上に見える、あれが大車輪座だ』

『大車輪座のずーっと上の上、見えるか?あれは都の鳥居座。入江神社の鳥居の形に似ているだろ。』

など当てずっぽうに言ったりした。

弟が負けじと

『あの山の上に見えるのが、鍋の蓋座だよ。お鍋の蓋に似ているよね。』

と言ったのが、おかしくて2人で大声で笑った。



沖ノ巻島の夜空には、たくさんの流れ星が見えた。

私たち兄弟は、流れ星に願い事をすれば、必ず叶うと信じて疑わなかった。

『新品の自転車が欲しい』

と弟は祈り、

私は『双眼顕微鏡が欲しい!』と

流れ落ちる星に向かって、そっと目を閉じて、両掌を合わせた。

そしてそのまま眠りについた。


私は顕微鏡の接眼レンズを覗いていた。

スライド板の上の蛾の触角は、先端に行くにしたがって細くなり、

細い毛で覆われ櫛歯状になっていた。

生きたままの蛾が時おり、ピクピクとあがき触覚がゆらゆらと震える。

それはまるで家の裏手にある遠見山の麓の牧場の牧草が

風になびきながら太陽の光を反射している光景と似ていた。

・・・つづく

次回の予告、
目を覚ますと、ハゲガラスが舟の縁にとまり、私の顔を覗き込んでいた。そして、事態は急展開・・・・。  

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2010年06月10日

凪その2・・・・・・短編小説

凪その1 は⇒こちら・・・http://naohana552001.ti-da.net/e2911397.html



海は凪だった。

帆はダラリと垂れている。

先ほどから昇り始めたと思っていた太陽は、すでに頭上を過ぎていて、

私は焦りを感じ始めていた。

舟を漕ぎ出してから、かなりの時間が経っているのに、すぐ後ろの白い砂浜は、

一向に遠ざかる様子がない。

風が吹いてくる様子はなく、櫂を漕ぐ掌に水疱ができて痛くなっている。

頭上を旋回しているウミネコの数が十数羽に増えているのに気が付いた。

ふと気がついたのは、ウミネコだとばかり思っていたそいつらは、

頭の禿げた真っ黒なカラスのようだった。

ハゲガラスが、死の近づいた動物の頭上に群れ、その動物が息絶えた後、

屍を喰うと云う話しを聞いたことがあるが、

確かハゲガラスの生息地はアフリカだったはずだ。

なぜ、今この文島に、しかも私の頭上に群れているのか、と考えてハッとした。

「冗談じゃない!あっちへ行け!俺はまだ死んじゃあいねえぞ」

と、両手で振り払った瞬間

『あっ!しまった!』

叫んだが、櫂を海に落としてしまっていた。

『畜生!!』

と焦りながら、舟の縁から手を延ばした。

舟は相変わらず浮かんだままで動かないのに、櫂はすーっと流れるように、

船尾から離れていった。

私はただそれを、茫然と眺めていることしかできなかった。



続きは、不定期に更新予定です。
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2010年06月07日

凪・・・・・・・・短編小説



毎月仕事の関係で訪問している文島へと今日も向かっている。

日本海に浮かぶ文島は、千人を少し切るほどの島民が暮らす小さな島である。

行きのフェリーは、時化のため大きく激しく揺れていた。

船客は、建設関係者らしい作業服姿の男たちが多かった。

こんな時化の日は、横になって揺れをやり過ごすことが、

通例となっていて、船の進行方向に頭か足を向けて、横になる。

なるべく、船の中央の客室が揺れはすくないが、

そこは女たちが入ることが、暗黙の決まりとなっている。

男たちは、船首部分の客室に入り、映りの悪い船内テレビを見るか、

無言で横になることになる。


私の名前は、最勝寺 徹。39才。

関西にある大手コンピュータ関連会社のエンジニアの仕事をしており、

地方の役場や企業のパソコンの保守管理業務の担当をしている。

私の会社では、地方周りの保守管理業務を田舎業務を文字って「なかジョブ」と言い、

誰も好んで行きたがらない。


船室の壁に来月行われる、帆掛け舟大会のポスターが貼られている。

今年で8回目となる今大会は、過去最高の出場者が申し込みを

済ませており、文島は今までになく活気づいていた。



船は上下に激しく揺れ、船窓に打ちつけられる波しぶきで、

揺れの大きさがわかる。

とても立っていられないだろうと思えるほどの揺れは、

これまで私が文島フェリーで経験したことがなかった。

私のすぐ隣りの初老の男は、この揺れにもかかわらず、

豪快に鼾をかきはじめていた。

私もいつしか、目を閉じ眠ったようだった。




そこは、真っ白な砂浜が延々と続いており、

海は群青色に染められている。

外国船らしき大きな船が水平線の上を

ゆっくり滑るように東に向かっていくのが見える。

私は、くり舟に破れかけた帆をかけて、

群青色の海に漕ぎ出すところだった。

頭の上をウミネコが3羽旋回し、早く舟を出せと、催促している。

『あ~!分かったから…』と、声にならない声で、

呟くように、ため息をついた。


・・・・次回へつづく  

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